自由って、一体なんだ。看護師が見た【映画】こんな夜更けにバナナかよ!〜愛しき実話〜感想【微ネタバレ注意】
こんにちはびーえむです。
大泉洋の演技がバリバリ光ってた映画、こんな夜更けにバナナかよ〜愛しき実話〜を観てきたので、また映画の感想文書こうと思いましたまる
実は僕、筋ジストロフィーの患者さんも看護していたことがあるのです。
なので、「どれどれ…ドクターうんちゃらとか白いうんちゃらを観るみたいに、現実の医療との差を突っ込む記事でも書いてやろうかな!フヒヒッw」みたいにクッソキモいこと考えながら観たんですが、なんか観終わったら色んな意味で考えさせられてました。
ちょっと重めの話題も書いたので注意して見てね!
公式サイトはこちら
あらすじ
鹿野靖明、34歳。札幌在住。幼少の頃から難病の筋ジストロフィーを患い、体で動かせるのは首と手だけ。人の助けがないと生きていけないにも関わらず、病院を飛び出し、風変わりな自立生活を始める。自ら大勢のボランティアを集め、わがまま放題。ずうずうしくて、おしゃべりで、ほれっぽくて!自由すぎる性格に振り回されながら、でも、まっすぐに力強く生きる彼のことがみんな大好きだった―。この映画は、そんな鹿野靖明さんと、彼に出会って変わっていく人々の人生を、笑いあり涙ありで描く最高の感動実話!
実在の人物を題材にしたノンフィクションヒストリー映画です。
監督は「猿ロック」や「ブタがいた教室」の前田哲氏
脚本は「ドラマ版ウォーターボーイズ」「ビリギャル」の橋本裕志氏です。
主な登場人物紹介
(ストーリー|作品紹介|映画『こんな夜更けにバナナかよ -愛しき実話』公式サイト)
鹿野靖明(大泉洋)・・・重度の筋ジストロフィー患者。難病でも自力で生きていきたいと思い多くのボランティアスタッフに支えられながら在宅で生活を行っている。ワガママ。
田中久(三浦春馬)・・・安藤美咲の恋人。現役の医学生。父の病院を継ぎ、患者と向き合う医者になるため鹿野のボランティアに参加している。結構ウジウジしちゃうタイプ。
安堂美咲(高畑充希)・・・田中久の恋人。医大生と合コンしたいので教育大生って嘘ついちゃったフリーター。嘘がバレると逆ギレするタイプ。
ここからいくつか話題を分けて感想です。
登場人物の役割について
基本的にこの物語は鹿野、田中、安堂の三人を比較させて、「生きる自由」について描きたかったんじゃないかと思うんです。
鹿野は障害に関わらず、精神的に自由に生きようとしている一方で、医大生の田中久は健常者でありながら自由に生きられない、どうしていいかわからないと悩み、身体は自由でも、精神的に束縛されているような状態。
じゃあ安堂美咲の役割はなんだったのか?と考えてみました。恐らく、当初は障害に関係なく鹿野を一人の人間として対等に関わるキャラクターとして描きたかったんではないかと。でも物語が進むにつれて、いわゆる「鹿野マジック」にかかり結局周囲の人間と同じく「鹿野を尊重しなければ!」という魔法にかかっているように感じました。…とはいえ、本当の意味で自由に生きようとしている鹿野に惹かれていった…というポジションだったのかもしれませんけどね!
筋ジストロフィーはモテる人が多い
ここで「鹿野マジック」について説明してみる。
現場で働いている僕の主観的な情報になってしまうので与太話程度に聞いて欲しいのですが、個人的に筋ジス患者はモテる人が多いように感じるのです。というか甘え上手。劇中で鹿野は病気を抱えながら一度結婚していたことを語ったシーンがあるんですけど、筋ジス患者は病気と知ってか知らずか既婚者もそれなりの割合でいます。身体が動かなくなるといった意味では同じような病気でALS(筋萎縮性側索硬化症)がありますが、そちらは特別にモテると感じたことはないんです。(有名どころだとホーキンズ博士の他有名大学の教授や社長など、ハイソサエティ(上流社会)に属している人が多いという話はあるが…)
病気の特性がそうさせるのか、バーナム効果的にたまたまそういった資質を持った患者さんに出会うことが多かったのかはわかりません。けれど劇中でも、そういった愛される特性=鹿野マジックが鹿野の魅力として描かれていたように思うのです。
当時の医療、介護の現場との違いについて
最初に断っておくと、僕は看護師として働き始めたのが2014年なので、鹿野氏が生きていた1990年代の医療・介護の現場の実際を知りません。関連書籍やネットで調べたくらいです。
1990年代といえば、まだ障害者総合支援法などもなく、ヘルパー制度や訪問看護の制度はあるものの、当時は措置制度といって行政側が必要なサービスの内容や量を決定していたんです。なので鹿野氏は一人で生きるためにはボランティアを多用するしか道が無かったのだと思う。(調べたら実際はボランティアだけでなくヘルパー制度も活用していたそう。そらそうだ。)
参考リンク:障害者総合支援法って何?
障害者総合支援法をわかりやすく解説!自立支援法との違いと平成30年施行の改正のポイントを紹介します!【LITALICO発達ナビ】
医療的な話をすると、劇中で鹿野が呼吸や心臓の障害が進み気管切開による人工呼吸器管理が必要となる場面がある。その際主治医である野原(原田美恵子)が「死ぬよ!?いいの!?」と問答するシーンがあったけど、あれは当時の医療における死生観を反映したものであり、現在は難病患者に対して人工呼吸器の装着を積極的に勧めることは”恐らく”ない・・・と思う。そこを誤解する人が出ないか少し心配になった。鹿野が最初「人工呼吸器は付けません。」と宣言したならその意思は尊重されるべきというのが今の考え方です。(本来は何度も面談を繰り返して最終的な意思決定を聞いていく)
その他、医療的に誤解されないかな?と思ったシーンについて書いてく。
カフ圧を勝手に調整するって、本当に危険なこと
(引用:気管カニューレのあれこれ : 国立長寿医療研究センター 臨床工学部)
劇中で気管切開により声が出なくなってしまった鹿野に対して安堂美咲がカフ圧を調整すれば声が出せるようになったという例を見つけて試そうとするシーンがある。
結果的に日々調整を繰り返すことによって鹿野は声を取り戻した・・・!という側から見たら感動なのだが、医療者としてみればあの場面は感動するどころか、下手なホラーよりドキドキしっぱなしでした…。
カフは唾液や痰の肺への誤嚥を防ぐだけでなく、気管チューブの固定の役割も担っています。つまりカフ圧を勝手に抜くということは事故的な抜管や誤嚥性肺炎を助長させるという命に関わるリスクが伴うのです。物語の都合上仕方ないのかもしれないけど、そういったリスクについては触れず、勝手なことをされて医療者が怒った・・・という風にしか表現されていないのが少し悲しかった。
ボランティアが吸引(医療行為)を行っていたことについて
通常タンを除去するための吸引は医療者か家族しか行ってはいけないことになっています。平成24年に法改正されるまでは介護職員も家族以外に吸引を行うことは出来なかったのです。
劇中で説明が不足していたように思いますが、鹿野はボランティアたちを「家族だ」と拡大解釈させた上で、病院側に一切の責任を問わないといった内容の誓約書まで書いていたそうです。映画を見ただけではその辺???ってなったので、詳しくは原作見た方がいいですね。
参考リンク:喀痰吸引等制度について|厚生労働省
ベテランボラ前木(渡辺真起子)のこういう人、おるよな~感がすごい
劇中で鹿野を何度もたしなめたり、元気づけていたベテランボランティアの前木さん。実際にヘルパーや訪問看護の方と接していると、こういう感じの人結構いるんですよね。(しかも大抵仕事が出来る…!)
役作りがうまいのか、意味わからんところでフフフwと笑ってしまい、我ながらキモかったです。人が少ないレイトショーにしてよかった。後ろに普通に人おったけど。
総評:自由に生きるって、全部さらけ出すってこと
原作未読組としてこの映画を観て色々考えました。
障害を抱えていても精神的自由を手にしようとしてる鹿野に対して身体的には自由でも精神的に自由を得られていない田中の対比を見て、自由って結局は一つのパイを奪い合っている状況と変わらないんじゃないのか?とか思ったりして。
最近は脱社畜~!とかフリーランスになるべし!など自由を売りにしたビジネスが最近流行しているように感じますが、本当の自由ってなんなんでしょうね?
やはり鹿野氏のように精神的自由を得るために行動することが、自由というパイを得るための近道なんじゃないのかなって。
精神的自由を得る=今いる環境から逃げ出すってわけではないと思うんです。自分の課題から逃げて環境を変えても、どうしたって躓いてしまうんじゃないでしょうか。
今の自分と向き合い、足りないものは何かを探せるということが、本当の自由なのかなあって思うのです。そのための手段が経済的自由だったり、職業を選ぶ自由だったりするわけで。
自分のことを自由じゃないと決めつけて苦しめているものの正体は何なのか?僕自身もまだわかりませんが、それを一つずつ探していきます。
最後に、鹿野氏の存在が今の筋ジストロフィー患者始め難病を抱える患者の希望となった事実に対して、深く敬意を表します。
これから映画を思い出しながら原作を読んで、この物語が伝えたかったことは何なのか探してみます。
それでは、またお会いしましょう。
※本記事に関して、医療や実際の鹿野氏の環境に関して誤解があればすぐに訂正しますのでコメント欄やお問い合わせを通してご一報頂ければ幸いです。
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