【特定疾患・難病】神経筋疾患看護における排痰について考える【緩和】
こんにちはびーえむです。
今日は以前まで勤めてた神経筋疾患看護に関連した内容です。
以前こんな記事書いたんですが
なんかブログっぽい記事書きたくてメリットデメリット!とか書いたんですが、そんなもんで済ませられるような看護じゃないんですよねえ!(過去自分全否定奴~~~~!)
今回はその中でも緩和と排痰について書いていきます。
正直実践的な技術とか知識は教科書や参考書を読んだほうがいいと思うので主に心構えなど、メンタルな部分について述べていきますよー。
※間違った内容があればTwitterでもコメントでも構いませんので指摘をお願いします。
すぐに調べた上で訂正、削除いたします。
そもそも神経筋疾患(特にALS,筋ジスなど)における排痰の役割とは
神経筋疾患における排痰の大きな特徴として、排痰状況がそのまま患者のQOL(生活の質)に直結するという点があります。
球麻痺症状により嚥下機能、咳嗽機能が障害されてしまった患者の多くは常に痰と戦っています。
自力での喀痰喀出が困難になれば医療者はチューブを用いた吸引を行って排痰を補助します。
ま~これがほんとに辛そうなんです…
「痰があるからしょうがない」「取らないと死んじゃうからしょうがない」
そうじゃなくて、もっと緩和的に関われないのか?と思う訳です。
たかが吸引、されど吸引
吸引って看護師なら多くの人が経験する手技だとおもうんです。
それだけに、看護師によって差が大きく出てしまう手技です。
痰が引けないからといって喉をツンツンツンツンツンツンツン…どうにかならないですか?
すこ~しだけ観察とか考え方の話をすると、吸引チューブを挿入して吸引するって料理に例えると仕上げの塩コショウなんですよ。
料理ってその前にやることたくさんあるわけじゃないですか。
①材料を切ったり(胸部x‐p、聴診、触診による状態の評価)
②煮込んだり(体位ドレナージやハフィングによる末梢気道→中枢気道へ喀痰を移動させる)
③味見をしたり(再度喀痰の移動性について評価)
そんな過程を踏んで、ようやく④仕上げの塩コショウ(吸引)するわけじゃないですか。
とりあえず塩コショウ振ればええやろ!みたいな考え持ってる人間の料理は間違いなくマズいです。
吸引も料理も一緒なんです(???)
…これ料理で例える必要ある?
だまらっしゃい!
緩和的に関わるということ
例えばDNAR(蘇生行為を行わないこと)を決定した人がいるとして、それを積極的な治療をしないと解釈している医療者が少なからずいます。
蘇生行為を行わない=なにもしないではないです。決して。
排痰が難しい患者だけど、DNARだからやらなくてもいい…じゃないと思うんです。
DNARを決めたとき、患者の中にはその時思い描いた”死”があるはずで、そこをどうサポートしつつQOLを維持、向上できるかが医療者ないし看護師としての役割なんじゃないかなあと思うのです。理想論だとしても。
死を受け入れたからといって、苦痛まで受け入れたわけじゃないはずです。
日本の死生観にもかかわってくる話ですが、よりよい死のため、サポートするって考えがもっと広まらないかなあと、思うのです。
難病看護と在宅と
去年「こんな夜更けにバナナかよ!」という実在した筋ジストロフィー患者を題材にした映画があって、こんな感想を書いたんです。
障害を抱えていても精神的自由を手にしようとしてる鹿野に対して、身体的には自由でも、精神的に自由を得られていない田中の対比を見て、自由って結局は一つのパイを奪い合っている状況と変わらないんじゃないのか?とか思ったりして。
神経筋疾患などの難病患者を在宅で介護するって、本当に大変です。
体が動かなくなるに連れて要求するケアは増えていき、夜中「背中がかゆい」というだけでも、家族を起こして背中をかいてもらう…という生活を送っている人たちが実在します。
病気を抱えていても自由は保障されるべきだし、同時に介護する側の自由も保証されるべきだと思っています。
今後予想される医療の大在宅時代に対して、介護する側の自由を保障するための仕組みは必要になることは間違いありません。
その仕組みがないとあっという間に医療は崩壊するんじゃないかと、そんな不安すら感じています。
”緩和的な排痰”を目指す
カフアシストという機械を知ってますか?
高い圧力で吸気と呼気を繰り返すことで、疑似的に咳嗽を行うことが出来る機械で、主に神経筋疾患の排痰ケアに使われることが多いです。
この機械、うまく使えば緩和的な排痰に大きく役立てることが出来るんです。
機械で咳嗽を促せば無理にチューブを奥に入れなくても痰を取ることが出来ます。
使えるものは使って最後の時間を安らかに過ごせるよう、支援するのが僕らの役割の一つなんじゃないかなって…思うんす。
もちろん今回述べた内容は理想論です。
それでも、考え方一つで救える死があると信じて発信していきます。
これを書いている辺りで平成が終わり令和になりましたので、今日はこの辺で。
それではまた!