【雑記】共感性羞恥がある人は物語に触れた回数が関係しているはず【仮説】
こんにちはびーえむです。
皆さん去年くらいに流行った「共感性羞恥」という言葉、まだ覚えていますか?
マツコと有吉の「怒り新党」で去年取り上げられてプチブームになりました。
【共感性羞恥】とは自分が恥ずかしいと思う行動を、テレビ番組やドラマなどで他人が行なっているのを見たとき、まるで自分がその体験をしているかのように、恥ずかしいと感じてしまう感情を表しています。
ドラマや映画などのフィクションであっても、「これからこの人恥ずかしい目にあうな」とか「やばい・・・この人これから失敗するな・・・」みたいな予感を感じたらすぐにその場を離れたり、チャンネルを変える、早送りをしてしまう人いませんか?
いえ〜〜〜〜い僕で〜〜〜〜す!!!!!!!!!
そもそも日本には昔から存在した感情【傍ら痛し】
古来より日本では傍ら痛し(片腹痛し)、いたたまれないという言葉が使われてきました。
【傍ら痛し】とは
第三者の立場から見ていて、心が痛む。はらはらする。気の毒だ。
「この頃の御気色(けしき)を見奉る上人(うへびと)、女房などは、―・しと聞きけり」
ん?一緒じゃないですか??意味。
日本人の特徴なのか知らないですけど、漢字多めの単語はプロっぽいから使いたくなりますもんね。(地獄のミサワ的な)
それでいて単語から意味が伝わりやすいので、流行るのも仕方ないでしょう。
まあその話はまた別の機会でするとして、この記事では共感性羞恥という単語で通します。
ストーリーに馴染みが深い人の方がなりやすい
なぜ本やテレビではなく"物語"と表現したか。
それは感情移入の度合いが違うことにあります。
漫画やドラマでもいいですが、特に小説だと想像の余地があるので、さも自分が主人公になったかのように感情を共有しようとします。
僕は小学生〜中学生の間まで死ぬほど本読んでる少年でした。
かといって小難しい本を読んでたわけではありません。
小学生らしくズッコケ三人組、デルトラクエスト、ダレン・シャン、ハリーポッターなど冒険活劇のような物語を特に読み漁ってました。
"ここから余談"
(ていうかデルトラクエストとか改めて思い出したら小学生向けにしては設定やら内容やらグロすぎません?
設定資料集のイラスト見たとき「これ小学生が見たらアカンやつや・・・!」ってなるレベルですよ。
自分的小学生トラウマランキング上位に君臨する"地獄"の絵本を読んだ時以来の衝撃でした。)
"ここまで余談"
なんにせよ当時本を読みまくってた僕は国語の成績だけ他と比べてよかったです。
(一番得意な問題は"この時の作者の気持ちを答えよ"でした)
その弊害として感情移入し過ぎた結果、本やドラマなどで「この展開はヤバい!」とまともに見れなくなる瞬間が出てきました。
要は経験値の差
普段本を読まない、ドラマや映画も見ない人で共感性羞恥を感じる人ってめちゃくちゃ少ないと思うんです。(誰か調べて欲しい)
※ここからは完璧に根拠もクソも無い妄想です
現実世界だけでなく、本や映画、ドラマなどで多種多様のストーリー展開を溜め込んだ脳内では似たような展開を予測してその中で一番強く感じた感情を呼び起こします。
それら一種のストレスに近い感情を回避するため、共感性羞恥といった感覚を覚えるのではないでしょうか。
なので共感性羞恥は生まれ持った脳の仕組みというより
経験による後天的変化によるものという説を僕は支持します。
おわりに
どうでした?
多分この感覚わかる〜〜〜〜〜!!!!ってなる人、ちょっとはいるんじゃないですか?
断っておきますが、僕は共感性羞恥があるからまともにドラマや本を見れなくなったってわけではないです。
むしろ感情が揺さぶられることにより、もーっと物語を楽しめるようになりました。
ということでみんな映画、ドラマ、アニメ、漫画小説なんでもいいからもっともーっと楽しもうぜ!!!!!
それではまたお会いしましょう。