何も考えず「わかる〜」って共感しちゃうのってどうなん?
誰かの気持ちに寄り添いたい…って思うことはあると思うんですよ。
共感してもらえるって嬉しいですよね。
でも待ってください。
その共感、本当にわかってますか?
- 「わかる」って言葉の利便性と危険性
- ぶっちゃけめんどくさいから「わかる」って言っちゃう問題
- わかりあいは時に人を停滞させる
- なんでも「わかってしまう」人もいる
- まとめ:つまりは、何を重要視して生きるかが大事
「わかる」って言葉の利便性と危険性
世のコミュニケーションの大半は「わかる」で占められていると思うんですよ。
「わかる」って便利な言葉ですよね。
例えば友人が悩みを打ち明けるシチュエーションがあったとするじゃないですか。
友人「恋人と別れたの…辛い…」→「わかるよ …」
ってのがよくあるスマートなコミュニケーションだと思うんですよね。
でも実際「わかる」には色んな理由が含まれてるんですよ。
友人「恋人と別れたの…辛い…」→「わかるよ!僕も去年恋人が風俗嬢だったことが発覚して別れたから!恋人と別れる辛さはすごくわかる!君に共感する!」
とまあ、一口に「わかる」といっても、これだけの意味が含まれていると思うんです。まあ実際悩み相談してこんな回答する奴いたら「ガ○○か?壁と喋ってろゴミ」と罵倒されて終わりなんですけど。
でも逆に、恋人出来たこと無いか、あるいはフられたことがない人間に「わかるよ!」と言われても「お前に何がわかるねん!」とキレたくなりませんか?
つまりは話を聞く側にも前提条件が必要なんですよ。
共感するためには類似したエピソードを人生で経験していないと「わかる」は嘘になるんです。
それだけじゃなく、「わかる」にはレベルが存在するんですよ。
レベル5:恋人と別れた経験がある
レベル4:恋人と別れそうになったことがある
レベル3:恋人が出来そうになったことがある
レベル2:恋人が出来たことがない
レベル:1そもそも異性と仲良くなったことがない。振られたことがない。
このように「わかる」にもレベルが存在し、レベルが低くなる程「お前に何がわかんねんレベル」は反比例して上昇していきます。
でも正直、こんなこと考えながらコミュニケーションなんて取ってられないですよね。
ぶっちゃけめんどくさいから「わかる」って言っちゃう問題
煽り文章みたいになっちゃったんですけど、そもそも共感にいちいち理由求めてたらキリが無いんですよね。
大概は相手の求めてるリアクションを察して「わかる」って言ってる人が大半じゃないですか?僕は察せないことが多いんですけど。
そもそも悩み相談する側は話を聞いて共感して欲しいだけで、具体的な解決策を提示して欲しい人は少ないと思うんですよ。(ややこしくなるので性差に関しては無視。)
なので大抵の悩み相談に関しては「わかる」って言っとけばなんとかなる感じしちゃう。
そこで話を聞いて共感して欲しい需要側と欲しいリアクションを提供する供給側の関係が整っちゃうから。
でも、それでいいんですか?
わかりあいは時に人を停滞させる
画像の通りなんですけど(説明放棄)
これネットだけじゃなく、現実世界でもよく見る光景ですよね。
なんかいいこと言う→「わかります!素晴らしいです!」→よく考えたら当たり前のことをいいこと風に言う→「流石です!やっぱり素晴らしいです!」
・・・
グダグタ喋ってなんの進歩もない会議と同じくらいどうでもいい会話が成立します。
まあ、本人たちが幸せならそれでいいんですけどね。
なんでも「わかってしまう」人もいる
共感力が強すぎると、経験したこともないのにその人の気持ちになって悲しくなったり、怒ったりと感情が沸き起こる人もいます。まあ僕なんですけど。
個人的に以前記事でも書いた共感性羞恥とかなり関係があると思ってます。
僕物語好きすぎて登場人物にのめり込み過ぎた結果、好きなキャラクターが失恋したらマジで自分も失恋したみたいな気持ちになって1週間ぐらい落ち込みます。そういった経験、皆さんありませんか?…あ、無い?すいません死にます。
まとめ:つまりは、何を重要視して生きるかが大事
共感してもらえるって嬉しいし、共感することによって相手が楽しそうに話すのを見るのも嬉しいですよね。
ただ、相手を本当に大事に思ってるときは
何も考えず共感してしまってもいいのか…?
と疑問に思うことも大切かもしれませんよ。
自分の考えで世界を生きていけ。
そう思うだろ?アンタも。