好きだったアーティストが変わってしまった…とか思うのやめへん?
こんにちはびーえむです。
なんでこの記事だけタイトル関西弁やねんって思うかもしれませんがマジで意味はないです。すみません。
ところで、好きだったアーティストが作品を出すに連れて方向性が変わり、「ダメになったな…」「悪くなった」と思った経験、ありますよね?あるだろ!!!!!!
いきなりですけど今日はそんな考えから脱けだすために必要な思考について語ってみます。
2~3分でサクッと読めるチラシの裏に書くタイプの記事。
世に出される商品は全て"ターゲットが決められている"ということ
以前関ジャムという番組で西野カナがゲストで出たとき、作詞のやり方を語ってたんですよ。
西野はまず、“企画書”として楽曲のコンセプトや設定を考えだした後、一旦自身で詞を書きだすと告白。その後はアンケートや友人への取材を行い、多かった回答や自分の意見を交えながら歌詞に落とし込む“マーケティングリサーチ”手法を採っていると明かしていった。
つまり西野カナの歌詞が若い女性から共感を呼ぶのは全然偶然なんかじゃなかった。
むしろより多くの女性から共感を呼ぶために徹底的なリサーチ行ってた。そりゃ売れるわ。なんだそれ。
もちろん番組内で西野カナさん自身の経験も作詞に反映されているから、完全に商業目線という訳ではないとは思う。
稼げるからプロという
上記で挙げた西野カナの作詞法について批判も集まっているみたいですね。
音楽という人の感性に訴えかける作品は商業的な要素が入ると嫌がる人が一定数いるのは知ってるけど、アーティストたちも仕事でやっているので、商業要素が入って当たり前じゃんという気持ちしか湧かない。西野カナが書いたトリセツの歌詞も、リサーチ無しで書いてたらここまで売れてなかったし、沢山の人の心に響いてなかったと思う。
自分が誰かの思うように操られていたと思うとそりゃ怒るよね
自分がアーティストの手のひらで踊らされていたと思うのが嫌なので批判してしまうんですかね。好きと嫌いは紙一重。
じゃあそもそも商業要素1ミリも入ってないならA4のノートに自作のポエム書いてた方が幸せだと思うのは僕だけでしょうか。
良し悪しではなく、自分に合うか合わないか
西野カナは若い女性から共感を呼ぶ歌詞を書くことで有名になりましたが、逆におじさんがトリセツ聞いて共感したり、会いたくてを聞いて泣くことってあんまりないと思うんです。
一部そんな人もいるかもしれないけど。
この前観てきた映画「ボヘミアン・ラプソディー」も、僕は映画館でギャン泣きしてしまいましたが、人によっては「薄っぺらい」と一蹴してしまう人もいます。
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要は音楽なり映画なり、世に"商品"として出される作品と出会ったとき、あんまり良くないな…と感じても一概に「これは悪い作品だ!」と決めつけるのはいかがなものでしょうかってことです。
自分はこの作品のターゲットではなかったって思えるようになった方が人生幸せじゃないですか?
もっと言うと他に自分に合ったものがあるはず!と新しい作品を探す方が健康的じゃないかなあと思うのです。
まとめ:柔軟な思考しようぜって話
今回の記事、何が言いたかったのかというと
①世の中マーケティング戦略によって出されているものがほとんどであるということ。
(つまり、作品によってターゲットが決められている)
②自分が気に入らないものを"よくないもの"と一括りにする思考にストップをかけてみる
③必ず今の自分の感性に合う作品やモノがあると信じて探すことが大事!
当たり前ですがネガティブよりポジティブ寄りで生きた方が人生楽しいしお得ですよ!
変化を嘆くより、変化を楽しんでいく
そんな感じの記事でした。
それではまたお会いしましょう。